君よ、風になれ!
第14話

大会3日前、ひよりちゃんと競技場に着くと、珍しく川浜コーチが準備運動をしていた。

周囲には2年生のギャラリーがずらり。

僕も上着を脱ぎながら、ゆっくりストレッチを開始する。

「おい。今度の日曜、県予選だな?」

川浜コーチが声をかけた。

なんだろう。この雰囲気。試合の時の空気感に似て、ピリピリとしている。

2年生の顔もイキイキしている。あれは、何かを楽しみにしている顔だ。

「何やってんすか。コーチ。若作りはほどほどにってゲンゴロウ爺さんが言ってましたよ」

くすくすと笑う2年生。

そして、あろうことか川浜コーチも一緒に笑ったのだ。

「ふうた。仕上げだ。今日は俺と勝負しろ。一度、お前と走ってみたかったんだ」

川浜コーチの年齢は42歳。

現役時代、優秀な事業団の選手で、引退は29歳だったという。

数えれば引退して13年。運動不足のアラフォーには、元気いっぱいの現役高校生の相手はこたえるだろう。でも、あの気合の入れようは、かなり本気のようだしな。

「はいはい。少し待っててくださいね」

諦めたふりをして、準備する。

でも、と思い当たった。勝負に年の差は関係ない。

実際、ゲンゴロウ爺さんとの山歩き。僕は1度も70歳をすぎた爺さんに勝てていない。加齢で体力は落ちても、その分、駆け引きが巧くなる。まして、僕の手のうちは全て知られているから、体力と経験値を同じ天秤にかけるべきではない。

僕は何をつかんだろう。僕がコーチに勝てる何か。

イメージをしっかり作る。どんな勝負になるか、どう出し抜くか、逃げ切るか。空気は湿気を帯びている。若干、地面のグリップは強いはずだ。靴紐は強めに。足はいきなりの運動に悲鳴をあげないようにほぐしておく。ストロークは長めにとろう。歩幅の大きな相手と渡り合うには、多少の無理が必要だ。軽くジョグを15分。よし十分、体は温まった。

 

僕と川浜さんはスタートラインに立った。

川浜さんのスタートダッシュは、タイミングピシャリ。とても高校生には真似できないロケットスタートだった。あれよあれよと、背中が見える。

僕は焦った。しまった。一計、はめられた。

最初から川浜さんはこれを狙ってたんだ。

ここで背中を追うのはダメだ。一見、距離が縮まっていくように見えて、実はこのペースは僕の本来のペースより遅いのだ。

今から、主導権を取り返せるか? 間に合うか?

集中して目を閉じた。

今、風はない。だから、僕が風になるんだ!

 

ゴールを切る。2年生の歓声が、僕の耳に入った。

「完敗だ。なかなかの走りじゃないか」

ヘトヘトのコーチが破顔した。勝負は、紙一重。僕の逆転勝ちだった。

「こちらこそ、勉強になりました。相手の心理をつくあたり、流石っすね」

「そりゃあ、経験の差があるからな。・・・それにしても、さっき目を閉じたのは何故だ?」

よく見ている。僕は舌を巻いた。

「ゲンゴロウ爺さんの猿真似ですよ。山歩きの時、よく風を確認してたなぁって。

僕は試合直前、その時の『いい感じ』につながるように流れを組み立てるんですけど、爺さんはもっと積極的にそれをやってて。参考にしました」

 

「まさか、あの不利な状況下、一瞬でイメージを立て直したのか?」

コーチの顔が驚いた。

2年生は首をかしげてる。そりゃあな。こんなこと言っても、意味がわからないか。

「さすが、本物の岸田源五郎の愛弟子だ」

外野がざわついた。

気がつかなかった。何人か、観客に大人が混じっていたのだ。

後で知ることになる。

それは川浜コーチの紹介で、この勝負を眺めていた実業団のスカウトたちだった。