第11話 純文学とワイングラス SIDE B
そして、その数年後の現在。
春の陽射しが、三枝家のテーブルを明るく照らしていた。
テーブルには、彩り豊かな前菜、香ばしい肉料理、そして子どもたちのリクエストで並べられたカラフルなピザとチョコケーキ。
キッチンからエプロン姿で現れたモヤシが、グラスを手に戻ってくる。
「じゃあ、そろそろいいか?」
その声に、テーブルにいた全員が手を止める。
弟夫婦がコホンと軽く咳払いし、ワイングラスを掲げた。
「今日は、モヤシ先輩と姉さんの結婚10周年。そして、瑠夏と可奈の小学校入学も重なって……まあ、なんだ、めでたい!」
「めでたーい!」と、ゆりかが大げさに叫び、子どもたちがケラケラと笑う。
モヤシが、私の横にそっと座る。
「高校時代のこと覚えてるか?」
「もちろん」
私が少しだけ笑い、グラスを掲げる。
「たしか、太宰のしおり、くれたよね」
「まだ持ってるよ」
モヤシは、懐から古びた紙を取り出す。文字はかすれていたが、「文学は、生き方だ」という言葉だけは、しっかりと読めた。
「それ、まだ捨ててなかったの?」と、ゆりかが笑うと、モヤシは「純文学好きにとっては遺言みたいなもんだ」と返した。
健治がグラスを掲げて言った。
「で? シェフ殿、今日のワインはどこのだ?」
モヤシが肩をすくめる。「フランスの片田舎で、修業中に飲んだやつの再現。味、保証は一切、いたしません」
「やだあ、いい加減!」ゆりかが笑い、子どもたちはジュースのグラスを一斉に掲げた。
グラス同士が軽やかな音を響かせる。
「かんぱーい!」と声をあげ、みんなが続いた。