エピローグ
昔のモヤシは、よく分厚い純文学の本を小脇に抱えていた。教室の隅っこでひとり、静かにページをめくっていたあの姿を、今でも時々、思い出す。
あれから、いくつの季節を越えただろう。
今、彼の手の中にあるのは、本ではなく、繊細なワイングラス。
そのグラスの中には、重ねた年月の香りと、たくさんの思いが詰まってる。
かつて彼が言っていた。
「言葉は料理に似てるよ。素材をどう切るか、どう火を入れるかで、ぜんぜん違う味になる」
あのときは笑って聞き流したけど、今なら少しわかる。彼の料理は、彼の人生そのものだ。
私も、子どもたちも、健治も、ゆりかも、皆で囲んだ食卓。
あの頃の悩みや葛藤が、今、グラスの中でほのかに輝いている。
そして私は、そっとそれを口に運ぶ。
ちょっとビターで、だけど、優しくて、深い味。
過去の延長に今はある。純文学とワイングラス、素敵な出会いと試練を乗り越えて。
(了)