純文学とワイングラス
第10話 三毛猫チョコート(下) SIDE B

春の夜、子どもたちを寝かしつけた後、私たちはリビングで湯気の立つハーブティーを手に、並んで座っていた。

「なんかさ、ふと思い出してたんだ。あの時のこと」

旦那が、ふと口を開いた。

「どの時?」

「……高校の頃。お前たちから、バレンタインチョコもらったこと」

私も思わず笑ってしまう。懐かしくて、少し甘酸っぱい。

「まさか、あのもやしっ子がフランスまで行って、帰ってきて、私と結婚するなんてね」

「ほんとだよな。あの頃の俺、フランス語もろくに話せなかったし、包丁もまともに握れなかったし」

旦那が照れくさそうに笑って、自分の紅茶カップを撫でた。

「でもさ、あのとき、ちゃんと海外行けたから、今があると思う。……あの頃のおれに、よくやったって言いたいよ」

 

彼がフランスに旅立ったあの日、私は見送ることもできなかった。でも帰国した彼は、見違えるほど自信に満ちていた。そして、何よりも、真っ直ぐに私に向き合ってくれた。

「……それにしても」

私はふと微笑んだ。「あの時、猫をダシにチョコ渡したの、まさか本当に効くと思ってなかった」

「こっちは、猫とチョコのダブルパンチでノックアウトだったからな」

「ほんと、チョロい男」

「でも、そんなチョロい男が、こうして家族持ってるんだから面白いよな」

少しの沈黙。

旦那は頷いて、私の手を握った。

あの頃の思い出は、もう過去じゃない。今も、私たちの現在を、優しく支えてくれている。