純文学とワイングラス
第9話 三毛猫チョコレート(上) SIDE B

「はい、可奈、瑠夏。ママからの友チョコよ~!」

「わーい!ママ大好きー!」

娘たちは、バレンタインデーと聞くと、恋のロマンスよりチョコレートの甘さが勝るお年頃。

本当は当日に渡す予定だったけれど、急な仕事が入り、私は3日前に前倒しで手渡すことにした。仕方がない、原稿の締切に取材スケジュールまで詰め込んでしまったのだから。

 

旦那もまた、突然入った予約に対応するため、厨房でてんてこまい。

「まあ、毎日顔を合わせてるんだし、当日にこだわる必要もないわよね」

そう自分に言い聞かせながらも、少しだけ特別な日が遠ざかっていく感覚も否めない。

 

それにしても、バレンタインデーの意味合いも随分変わった。

100円ショップには手作りチョコのキットがずらりと並び、ネットでも材料が簡単に手に入る時代。

“友チョコ”や“自分チョコ”が主流になりつつあり、恋の告白の場だった頃のドキドキは、少し薄れてしまったように感じる。

ちなみに、ゆりかからはモロゾフのウイスキーボンボンが届いた。あの頃を思い出して、くすりと笑ってしまう。

 

「チョコ食べたら、ちゃんと歯を磨いてね。虫歯になったら大変よ」

そう言うと、娘たちは「はーい!」と返事をしたけれど、本気で理解しているかどうかは怪しい。

 

今の三枝家には、ペットはいない。

情操教育に良いとは聞くけれど、やっぱり“命”を預かることには覚悟がいる。

過去に飼っていたチャトラのことを思い出す。

あの子は、ある日、駐車中の車に尻尾を踏まれてしまい、その怪我がもとで命を落とした。あの悲しみを、娘たちにまで味わわせたくないという気持ちが強い。

 

とはいえ、私も旦那も猫好きだ。

「今度の休みに、猫カフェでも行こうか」

そんな話も出るくらいには、未練もある。

でも、やっぱり迷ってしまう。これでいいのかな、と。

 

バレンタインデーは、ただのイベントじゃない。

あの日、あの時、私が込めたチョコレートの想いは、甘くて、少し苦くて、後悔の味がした。

だからこそ、今でもこの日は少し特別だ。

私の世界は、あの瞬間を境に、少しだけ変わってしまったのだから。