純文学とワイングラス
第9話 三毛猫チョコレート(上) SIDE A

その頃、瀬戸内家には一匹のキジ猫がいた。名前は「チャトラ」。その名の通り、茶色い縞模様の毛並みが特徴的で、中学生の頃、弟が母の日に拾ってきたのが始まりだった。拾われて10ヶ月後には去勢され、それ以来、餌をよく食べるようになり、気づけばぽてっとしたフォルムに。性格は飼い主に似るのか、ポテトチップスが大好物で、またたびには全く無関心。弟の部屋に積まれた古雑誌で爪を研ぐのが日課で、掃除をするこっちの身にもなってほしいと思うけれど……まあ、弟の部屋の掃除は私の趣味みたいなものだから、文句は言えないか。

「無断で俺の部屋を掃除すんなよ!」

怒る弟の気持ちもわかるけど、姉としては成長を見守りたいのよ。

ゆりかにこの話をしたら、ため息混じりに言われた。

「いい加減、男の子の事情も察してあげなよ」

「最近、隠し場所が変わったっぽいの」

「……もはや病気ね」

 

話をチャトラに戻そう。なぜか彼は私のことが大嫌いだ。玄関を開けると一目散に駆け寄ってくるけど、私だと分かった瞬間、クルッと踵を返して逃げ出す。そして私はそれを捕まえて、頬擦りしたりお腹をもふもふしたりする。……嫌われるわけだ。時には「シャーッ!」と威嚇される始末。

ある日、そんな愚痴を図書室でゆりかとモヤシにこぼしていた。

「うちも猫飼ってるよ。オスの三毛猫」

自慢げに胸を張るモヤシ。三毛猫のほとんどがメスだという事実を知っていれば、この自慢がいかにレアか分かるはず。

「すごーい! 今度見せて!」

と目を輝かせるゆりか。

「じゃあ、二人でうちに来る?」

私たちは一瞬固まった。

「ねえ、裕史くん。女の子を部屋に誘うって、大胆じゃない?」

からかうゆりかに対し、彼は真顔で返す。

「別に変な意味じゃないし。猫見たいだけだろ?日曜とか空いてるよ」

 

私は、内心そわそわしていた。猫ももちろん見たいけれど、年頃の男子の部屋というのも気になる。2人で行くという建前があるからこそ、成立するこの状況。

「ねえ、あゆみちゃん。男の子の事情、察しなよ?」

 

「うっ…まだ何も言ってないんだけど…」

その時、ゆりかがカレンダーを見て叫んだ。

「あっ、来週の日曜って…バレンタインじゃん!」

私も凍りつく。

バレンタインに男子の部屋なんて、手ぶらで行けるはずもない。

「よし、私は交際記念にケーキ焼くわ!」

帰り道、ゆりかが拳を握る。

「……あたしは、チュールかな……」

「ちょっと、あゆみ君。それ猫用のご褒美だから」

 

分かってる。本命じゃない。ただの義理チョコ。それでも、先日の“唇事件”を思い出すと、顔が熱くなる。

板チョコ一枚じゃ、何かが伝わってしまうかもしれない。

「うーん……今から雑貨屋さん、寄ってみない?」

ゆりかの足取りは軽やかで、私はその後ろを追いながら、バレンタインの深い闇に足を踏み入れていた。