「助かったわー。本番直前でセリフが入ってる子なんて他にいなかったのよ」
控室でドレスを整えながら、私はお姫様役の衣装に身を包んでいた。阿部先輩がふと私をじっと見つめる。
「どうしました? 衣装が合ってません?」
「そうじゃないの。胸は詰め物でいけるし、身長もヒールでごまかせる。問題ないわ」
言われてみれば、確かに。むしろ私、そうじゃないことを誇りにしてたくらいだ。だからこれは、むしろご褒美?
突然、阿部先輩の手が私の顎に触れた。175センチの長身から覗き込まれると、なんだか妙に緊張する。
「…あゆみちゃん、メガネ外してみよう。メイクは任せて」
「ダメです! ド近眼なんです! 歩けません!」
「移動は羽間くんがお姫様抱っこするから大丈夫よ」
「ちょ、ちょっと待って!?」
「シャーラップ。団子2本で契約したでしょ?」
くっ。幻のマヌカハニー味に釣られた私が憎い。
阿部先輩は淡々とメイクを進める。つけまつ毛まで付けて、メガネをケースにしまいながら、微笑んだ。
「こんなに素材がいいのに、モヤシも見る目あるわ」
そんなつもりじゃないのに…。手鏡を渡されたが、ぼやけて見えない。ド近眼だもの。
「どこから見てもお姫様。さあ、いってらっしゃい!」
背中を叩かれ、舞台袖へと押し出された。
ステージに出た瞬間、光に包まれる。リハなし、アドリブだが、脚本は私が書いたのだ。台詞も流れも完璧に頭に入ってる。問題は足元。視界がぼやけるうえ、ドレスに足を取られて転びそうになる。
だが、羽間先輩に支えられ、なんとか演技を続ける。
この世界、悪くない――
スポットライトの中で、私は別人だった。高揚感、緊張、そして興奮。30分があっという間に過ぎていく。
やがて物語は、姫が平民と駆け落ちを決意する名場面に。
「…この柵を越えて、あなたのもとへ!」
そうセリフを叫び、テラスの上から羽間先輩の元へとダイブ――
した、つもりだった。
「あゆみちゃん、違う! そっちじゃない!」
という叫びが聞こえたのは、空中に身を投げたあとだった。
結果――私は90度方向を間違え、羽間先輩ではなく、客席へと美しく飛び込んでしまったのだった。