「なみのおと」は夜になると、ちょっとしたパブに姿を変える。
間接照明がほんのり灯る店内で、私たちは再会を祝うようにグラスを傾けていた。
「裕史くんって、ハイビスカスだったのよね」
グラスをくるくると回しながら、ゆりかが笑う。今ではすっかりゴージャスな雰囲気の彼女だが、学生時代は線の細い文学少女だった。
「私にとっては、『あゆみちゃん』でも『私』でも、どっちでも良かったの。だって私たち、当時は一心同体だったじゃない?」
「まったく、残酷な女子高校生ね」
私はコーヒーをひと口。
「そうね。でも、その恋愛ゲームのおかげで、今の家族を見つけられたんだもの。あなたたちに感謝してるわ」
カウンターではスタッフが入れ替わり始めていて、店内は夜の支度に入っていた。
「そろそろクラフトビールが欲しいな」
「どうぞご自由に。でも、娘さんたちにバレたら拗ねるんじゃない?」
「今日は“仕事で缶詰”って伝えてあるから平気よ」
「旦那さんには?」
「さすがに誤魔化せないから、ちゃんと報告したわよ。応援までされたし」
私はランチジャーを取り出した。中には、旦那が朝早くから仕込んでくれたラタトゥイユ。
「2人で食べて、ですって」
「裕史くん、最高か!」
「…ただ、持ち込みだから店主にひとこと許可を取らないと」
ベルを鳴らすと、店主がすぐにやってきて、ランチジャーを見るなり苦笑い。
「裕史の料理ですね。バケットとお皿、用意します」
理解のある店って、こういうとき本当にありがたい。運ばれてきたスープ皿にラタトゥイユを注げば、色とりどりの夏野菜が食欲を誘う。クラフトビールと唐揚げも加わって、ちょっとしたご褒美の晩餐になった。
「で、ファーストキスの話は?」
ゆりかがにやにやしながら身を乗り出してくる。
「そんなの、ただの唇の衝突よ。ロマンも何もなかった」
笑って誤魔化そうとするも、ゆりかの目はごまかせない。
「覚えてる? 阿部先輩のこと」
「演劇部の部長さんでしょ?」
「そう。あの人のせいで、私、代役に立たされたのよ」
話は、あの文化祭の午後にさかのぼる――。