純文学とワイングラス
第5話 焼きそばキッス(上) SIDE B

「なみのおと」は夜になると、ちょっとしたパブに姿を変える。

間接照明がほんのり灯る店内で、私たちは再会を祝うようにグラスを傾けていた。

「裕史くんって、ハイビスカスだったのよね」

グラスをくるくると回しながら、ゆりかが笑う。今ではすっかりゴージャスな雰囲気の彼女だが、学生時代は線の細い文学少女だった。

「私にとっては、『あゆみちゃん』でも『私』でも、どっちでも良かったの。だって私たち、当時は一心同体だったじゃない?」

「まったく、残酷な女子高校生ね」

私はコーヒーをひと口。

「そうね。でも、その恋愛ゲームのおかげで、今の家族を見つけられたんだもの。あなたたちに感謝してるわ」

 

カウンターではスタッフが入れ替わり始めていて、店内は夜の支度に入っていた。

「そろそろクラフトビールが欲しいな」

「どうぞご自由に。でも、娘さんたちにバレたら拗ねるんじゃない?」

「今日は“仕事で缶詰”って伝えてあるから平気よ」

「旦那さんには?」

「さすがに誤魔化せないから、ちゃんと報告したわよ。応援までされたし」

私はランチジャーを取り出した。中には、旦那が朝早くから仕込んでくれたラタトゥイユ。

「2人で食べて、ですって」

「裕史くん、最高か!」

「…ただ、持ち込みだから店主にひとこと許可を取らないと」

 

ベルを鳴らすと、店主がすぐにやってきて、ランチジャーを見るなり苦笑い。

「裕史の料理ですね。バケットとお皿、用意します」

理解のある店って、こういうとき本当にありがたい。運ばれてきたスープ皿にラタトゥイユを注げば、色とりどりの夏野菜が食欲を誘う。クラフトビールと唐揚げも加わって、ちょっとしたご褒美の晩餐になった。

「で、ファーストキスの話は?」

ゆりかがにやにやしながら身を乗り出してくる。

「そんなの、ただの唇の衝突よ。ロマンも何もなかった」

笑って誤魔化そうとするも、ゆりかの目はごまかせない。

「覚えてる? 阿部先輩のこと」

「演劇部の部長さんでしょ?」

「そう。あの人のせいで、私、代役に立たされたのよ」

話は、あの文化祭の午後にさかのぼる――。