卒業後、モヤシが働いていたカフェで、そこのマスターがぽつりと漏らした。
「あいつさ、昔、交換日記してた理由、知ってる?」
私は首を傾げるしかなかった。まさかその後、こんな話を聞くことになるとは。
モヤシには、すごく本好きな祖父がいたらしい。膝の上に孫を乗せて、本を読み聞かせるのが日課。戦前、満州で会社を経営し、終戦後も日本で事業を拡大したという才覚の持ち主だったそうだ。だが、彼が一番愛していたのは、若き日の満州時代だった。
とはいえ、その時代を知る者は少なく、教科書は曖昧な記述ばかり。家族の中でも、興味を持つ者はいなかった。祖父が語れる相手は、もはや誰もいなかったのだ。
そんな祖父が亡くなり、形見を整理していた時、驚きの品が見つかった。なんと――交換日記。それも、祖母ではない女性との。記された内容から、それが長年にわたる深い交際だったと分かった。
家族は騒然となったが、それだけで終わらなかった。後年、その女性が中国からやってきたのだ。誰もが「財産目当てか」と身構えたが、彼女の望みはただ一つ。「お墓参りがしたい」――それだけだった。
親戚たちは冷たく対応したが、話し相手になったのが、当時まだ少年だったモヤシだった。彼は祖父の交換日記をその女性に手渡す。女性は静かにページをめくり、懐かしむように微笑んだあと、ひと言「ありがとう」と告げて帰国した。
それから数年後、モヤシが修学旅行で中国を訪れた際、彼女の遺族と会う機会があった。そこで告げられた、祖父の遺言。
「愛を語るなら花束で、恋を語るなら憧れで」
その言葉が、モヤシの心に深く刻まれたのだ。
だから彼は、最初の恋には交換日記を、と決めていた。相手が許してくれるなら。
そして――ゆりかは許した。いや、受け入れた。
彼女は、自分の気持ちが“愛”ではなく“憧れ”だと気づき始めていた。モヤシの心の中には、すでに私がいたから。
せめて、自分の恋を美しく残したかったのだろう。だから、交換日記の中には私の話ばかりが綴られていた。
「今日のあゆみは、宿題を忘れてた」
「授業中に居眠りしてた」
「またこけてたよ」――まるで観察日記。
やがてそれでは足りず、架空の恋物語が始まった。クラスメイトを総動員し、私を中心にした一大恋愛劇。気づけば1年かけて壮大な物語が出来上がっていた。紫式部もびっくりだ。
その物語の最後、ゆりかはこう結んでいた。
「あとは、がんばってね。あゆみちゃん」
――そう、まるでバトンを渡すように。