純文学とワイングラス
第1話 初恋 SIDE B

それからの毎日は、まるでスープのようだった。じっくり煮込んで、ふんわり香り立つ、そんな穏やかな日々。

結婚してからのモヤシはというと、やたらと「昔からお前が好きだった」と繰り返す。寝る前、味噌汁を飲みながら、洗濯物を干しながら、まるで念仏のように。それが照れ隠しだってことは知ってるけど、あまりに連呼されると、「もうわかったから、明日のゴミ出しお願いね」としか言えなくなる。

でも、たまに彼が見せる、ふっと真顔になる瞬間が好きだ。フライパンの前で湯気越しに私を見て、「なあ、あの時、お前があの本を返してくれたとき、俺、心臓止まるかと思ったんだ」なんて言う。それを聞いて、私も同じタイミングで胸を押さえて、笑いながら「私もよ」と返す。

不思議なものだ。高校時代は、恋より友情を優先していた。モヤシのことを好きだと気づく前に、彼はもう遠くに行ってしまっていた。だけど今は、毎朝、隣で寝ぼけた顔を見ては、「ああ、ようやく手の中に来たなあ」と、しみじみ思う。

娘たちには、「パパとママはずっとラブラブだったの?」なんて聞かれる。私は笑ってうなずく。けれど、心の中でこっそり「ううん、ラブラブに育てたのよ」とつぶやく。時間と距離をかけて、ようやく咲いた恋。それを、私は大切にじっくり味わっている。

だから、今夜の夕飯も、モヤシ特製のビーフシチューに決めた。とろとろに煮込んだお肉の中に、ちょっとだけ恋の味がする。今はまだ、娘たちにはわからないかもしれないけれど、きっといつか――自分だけの味を見つける日が来る。その時は、モヤシのように、ちょっと不器用でも優しい誰かに、出会ってほしいと願っている。

恋って、不思議で、あったかい。ちょっと焦げることもあるけど、焦げ目だって、いいスパイスになる。そう思えるのは、今、私の隣にいるのが――あの、もやしみたいに頼りなかった男だから。

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